企業が特許を主張して自社利益を最優先すると全体が良くならない

市場経済というのは、原理的には各々が自分の利益を追及した結果、生産性が上がって全体が豊かになるという理屈で動いてます。

僕はこれには大賛成なのですが、市場経済が正常に機能するには政治が余計な介入をしないことが大切です。政治の介入というと郵便局等の国営企業問題や、コメ農家の保護などがぱっと思いつくものでしょうか。


そんな中、僕が一番気になるのが↓のような現象です。

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appleが自社の利益を最優先に考えるのであれば特許を取得して、サムスン等のライバル企業の足を封じようとするのは当然です。しかしこの行為が市場原理に沿っていて、全体の最適解になっているのかというととても疑問を感じます。appleが特許を主張してサムスンの商品を販売停止に追い込むことで、僕達消費者はとても高性能なGalaxyが開発される機会をロストすることになり、どうあってもiPhoneで我慢するしかなくなるからです。

なぜこのように企業の自社利益追及が全体最適解とイコールにならないような現象が発生するのかというと、このappleの行動は「特許・著作権」という政治が決めた枠組みに沿ったものになっているからです。


この問題を考えるには、そもそもなぜ共産主義では駄目で市場原理の導入が必要なのか、ということを考えないといけません。簡単に言ってしまえば、僕達人間は全てを計画的に進めていけるほど頭が良くないからです。共産主義というのは「一部の頭の良い人達が1つの計画を立ててその通り実行させる」もので、市場原理というのは「たくさんの人がたくさんの計画を立てて全て実行し、最終的に一番正しかったものだけが残る」ものです。

もしも僕達が完璧に将来を予測出来るくらい頭が良ければ(あるいは、それくらい頭が良い人が一人でもいれば)、共産主義が断然オススメです。市場原理なんて立てた計画のうちのほとんどが無駄になってしまうのですから、ものすごく非効率的です。それに比べて共産主義は1つの計画を実行するだけで成功するのですからとても効率的です。それなのになぜ共産主義が廃れてしまったのでしょう。それは非常に単純な話で、「正しい計画を立てることが出来なかったから」なのです。それくらい、国家の計画を任されるような頭が良くて実績もあるような人達ですら馬鹿なのです。



で、「特許・著作権」問題です。これも一部の偉い人達が勝手に作ったもので、市場原理を経ていません。一般的に「特許・著作権」というと「頑張って発明した人を保護するんだから素晴らしい」という意見が大多数だとは思いますが、そのような個人的で感情的な判断と経済の正しい進め方とが一致しない事は往々にしてあります。

従って「特許・著作権」は本当に正しいのだろうかという事を考えないわけにはいきません。そして僕は「特許・著作権」というのかなり問題のある法律だと思っているわけです。


例えば『Aさんが「X」という商品を開発して発売したら、Bさんもそれを真似して「X」を発売した』というケースについては「特許・著作権」という法律に正当性があるような気がしなくもないです。この場合、Bさんを守るメリットは何も無いからです。


しかし、『Aさんが「X」という商品を開発したら、Bさんはそれに+αして「X+α」という商品を開発した』というケースを考えるとなると話は違ってきます。

このケースでは、「特許・著作権」の有無により以下の2つの平行世界があることになります。

著作権のある世界:
AさんはBさんを特許侵害で訴えて「X+α」は販売停止になった。
消費者はAさんの「X」という商品を使い続けた。

著作権の無い世界:
消費者は「X」よりも高性能な「X+α」を使うようになった。


さて、みなさんはどちらの世界が良いでしょうか。僕としては、これは完全に後者の方が良いですね。もしも「X」というのが「食べ物を作るマシン」だった場合の事を考えると、僕の考え方は分かりやすいのではないでしょうか。

この世界には貧困が蔓延っています。満足に食べ物を食べれない人達がたくさんいるのです。そのため、僕は基本的には生産性を上げる事こそが全ての目的だと考えています。しかし上記の例の「著作権のある世界(=現実世界)」では、よりたくさんの食べ物を作る事が出来る「X+α」をわざわざ排除して、それより機能が劣り生産力の低い「X」で皆が我慢している状態です。この結果として食べ物が食べれない人達が増える事になるのです。

僕にはこれはもう悪にさえ思えます。

「特許・著作権」というのは本当に世界の利益に貢献しているのか、一度見つめ直してみるといいのではないでしょうか。