リベラリスト(自由主義者)の考え方

世の中には自由主義者と呼ばれている人達がいます。堀江貴文さんや、藤沢数希さんなどが有名ですかね。

ただ、ホリエモンの風評でも分かるように、この人達は非常に世間の評判がよろしくありません。

基本的に金が最も重要だというように見える彼等の主張は、ともすれば世間から拝金主義者などと呼ばれ、悪評が立つことも多いです。



そんな彼等はいったいどんな人達なのか、その習性を見て行きましょう。



・とっても現実主義者

社会の多くの人が好み、自由主義者が極端に嫌う言葉があるのですが、これが彼等の習性をよく表してると思います。

増税は必要だけど、まずは無駄を省いてから。」

この言葉自体の意味する事は非の打ち所がないくらい正しそうです。誰が考えたってそりゃそうだって思います。ところが不思議な事に、この当たり前の事が実行された所を僕は見たことがありません。この20年間、無駄が省かれるどころか国家予算は増え続けています。

「まずは無駄を省いてから」というのは過去の経験則から言って実行されることはほぼ無いです。そのため、現実的なリベラリスト達はこの言葉を嫌うのです。「どうせこの先も無駄が無くなる事はないのだから、早く増税した方がいい」というのがリベラリストの方々の主張ですね。


あ、そういえばこの20年間で一度だけ「無駄を省く」というのが本当に実行された事がありました。小泉政権の時ですね。面白いことに、「無駄を省く」を実行した小泉さんは無駄を省くって言うのが嫌いな自由主義者で、無駄を省いた小泉さんは「増税は必要だけど、まずは無駄を省いてから。」と言っている人達から「小泉さんが無駄を省いたお陰で日本が滅茶苦茶になった」と散々言われています。言ってることとやってることが逆転してますね。いったいどうなっちゃってるのか本当に不思議です。





・世界全体の富とかいうのを考え始める

社会の多くの人は「今やっている仕事が出来なくなる事」の心配をします。特に最近は中国を筆頭とした新興国がすごい勢いで僕達日本人から仕事を奪っていくのでたまったものではありません。

ところがなぜか自由主義の人達はこの状況を歓迎します。これは自由主義者の代名詞ともいうべき「比較優位」という考え方に基づいています。

比較優位とは以下のような考え方です。


藤沢数希「日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門」より 概要:

先進国の人口は1000人で途上国の人口は2000人だとします。工業製品を1単位作るのに先進国では一人必要ですが、途上国では教育水準が低かったりして生産性が低いので10人必要だとします。 また、農産物を1単位作るのに先進国では2人必要ですが、生産性の低い途上国では4人必要だとしましょう。

貿易を行わずにそれぞれの国が別々に工業製品と農産物を作る場合を考えましょう。先進国では750人を労働させて750単位の工業製品を、残りの250人を労働させて125単位の農産物を作っています。途上国では1000人を労働させて100単位の工業製品と、残りの1000人を労働させて250単位の農産物を作っています。

世界全体では850単位の工業製品と、375単位の農産物が作られます。


次に、先進国の1000人全員を工業製品の生産に振り分けてみましょう。この場合、1000単位の工業製品が作られます。そして、途上国では2000人全員を農産物の生産に振り分けます。この場合、500単位の農産物が作られます。


世界全体では1000単位の工業製品と、500単位の農産物が生産される事になるので、各国それぞれ自国内の相対的に生産性の高いものに特化して生産した方が、世界全体では生産性が上がる事が分かります。

「日本人の車を作る仕事が減ったからといって、世界全体で車が減っているわけではない」ということです。新興国の人達が日本人と同じように車を作れるようになったという話なので、とても良いことのように思えます。

↓のような単純な移り変わりの話なのです。

【昔】
最貧国:仕事ない
新興国:食べ物作る
日本 :車作る

【今】
最貧国:食べ物作る
新興国:車作る
日本 :???


という状況になっているだけで、今まで何も出来なかった最貧国の人達にも仕事が回るようになっているので、世界はどんどん豊になっています。

そのため、自由主義者の方々は過去の技術に頼った産業が新興国にどんどん流れていくことを歓迎します。




・政府が産業に口出しする事が大嫌い

自由主義者自由主義者と呼ばれる由縁はこれかもしれません。

政府が産業に口出しするというのは、例えば公共事業などで雇用対策する事や、企業の倒産を公的資金で救済すること等です。

これら政府の行動は一見経済にとって良い事のように思われますが、なんで自由主義者の人達は政府に口出しされるのが嫌なのでしょうか。下の例を使用して説明してみます。


【昔】
最貧国:仕事ない
新興国:食べ物作る
日本 :車作る

【今】
最貧国:食べ物作る
新興国:車作る
日本 :???


この産業の移り変わりの例は全体としてとても良い事なのですが、困ったことが1つだけあります。車を作る事が新興国に任せられるようになったとして、では次に日本が何をしたらいいのかよく分からないままなのです。

なぜこんな事になってしまっているのでしょうか。それは、政府が「日本で車を作っている人達の雇用が大切」とか言って、日本で車を作っている人達を助けてしまっているからです。エコカー減税なんかは記憶に新しいところです。

新興国が車を作るようになったので日本で車を作る人達が失業するのが自然なサイクルです。そして失業した人達が、知恵を絞って新しい産業を生み出していくのです。例えばアメリカでは、googleamazonapple等の新しい産業が成長しています。ところが日本政府は「車が作れなくなって雇用がなくなるのは問題だ」とか言ってこの人達を助けています。

車なんかはまだマシですが、その最たるものは農業ですね。


別に日本で車作ったっていいじゃないか、と思います。しかしこれには自由主義者は怒ります。上記した比較優位の考え方より、新興国に比較優位がある産業を日本が新興国へ渡さないというのは世界全体の富を減らす行為だからです。これによって世界の最貧国での貧困を解消する機会が失われてしまうのです。

そもそも、新興国の技術力が上がって日本人と同等の物が作れるようになって来たのですから、日本での産業を保護しようとしたってしきれるものではないのです。


それ以外に、政府が余計な事をしない方が良いというのにはもう1つ大きな理由があります。車の産業を保護しているということは、つまり日本政府は「車産業が大事」と考えているということです。このように政府が特定の産業を決め打ちすることを「計画経済」といい、つまり共産主義の考え方です。そして非常に現実的な自由主義者達はこう考えます。

「今まで共産主義が栄えた試しなんて無いのだから、計画経済は駄目だ」


そして自由主義者はこう考えます。日本は世界の経済大国まで上り詰めた優秀な人の集まりなのだから、政府が余計な事をしないで民間(市場)に任せていれば、車に代わる次の産業は誰かが生み出してくれるはずだ、と。

つまり、「政府」よりも「市場」の方が良い産業を生み出す能力が高い、と自由主義者の人達は思っているから、政府に介入されることを極端に嫌うのです。

まぁこれは普通に考えれば当然の事で、政府関係者が何人か集まって知恵を絞ったアイデアよりも、何千万人という規模の市場で勝ち残ってきたアイデアの方が質が高いのは当たり前ですよね。




というところで、まだまだありそうですが、ずいぶん長くなってしまったのでこんな所で終わります。少しでも彼等の生態がお分かり頂ければいいなぁと思います。