電車内で通話するという自由

僕が思うに、日本人の多くの方々は「電車内で通話するのはマナー違反だからするべきではない」と思っているのではないかと思います。その一方で「もっと自由に生きるべき」という種類の話は最近よく聞くようになりました。ノマド論などはネット上で非常によく見かけます。


僕自身はみんなもっと自由に生きていけばいいのにと思うのですが、この社会に「マナー(≒習慣)を守って生きていくべき」と考える人がいるのはまぁ理解出来ます。ただおそらくそれなりの数の人が「人は自由に生きるべきだがマナーも守るべき」という考えをもった人がいると思っていまして、いやいやそれはどっちかにした方がいいんじゃないかと。


自由に生きるということは習慣に反して生きるということですが、JSミルは自由論の中で「東洋の国では、正義・公正は習慣に一致する」と書いていますので、つまり「自由に生きるということは正義・公正に反して生きる」ということになりますよね。正義・公正に反して生きるのですから、当然マナーにも反しますし、要するに他人に迷惑をかけて生きるということです。

つまり自由に生きるということは、日本社会の常識中の常識「他人に迷惑をかけない」「自分がされて嫌な事はしない」に対立するということなので、これはなかなか大変なことで、「自由に生きるけどマナーはちゃんと守ります」なんてヌルい事を言っている人は一度自由とは何かを見つめなおしてみるべきではないでしょうか。


僕も電車内で隣の人が電話で話し始めたら嫌ですし、出来れば静かにしていてくれとおもいます。しかし、僕が思うに、自由とは「自分がされて嫌な事を禁止しない」という寛容さから始まるものです。特に、車内通話禁止といった種類のものは、自分がされたら嫌だけど社会的に見ると車内で仕事が進んだりしてむしろ生産性が向上する行為なので、これを禁止にする理由が単に「嫌だから」という以外見当たりません。

ちなみに、ググってみたところ電車内通話禁止というのは諸外国にはないみたいですね。


日本の社会常識が「自分がされて嫌な事は他人にしない」から「自分がされて嫌な事はする、他人がしていても許す」というところへ転換していくと、自由な社会という土壌が生まれてくるんじゃないでしょうか。